梅田氏の「残念」発言について、思うこと。

そろそろこの話題(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/01/news045.html, http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20090603/1244052161)も旬をすぎて落ち着いてきたので、私も思うところを少々。

梅田氏のいう「上の人が日本のWEBに出てこない」という嘆きは、理工系の技術を追っかけている私のような人間からみると、それを嘆くこと自体が現実とずれているという気がする。

なぜなら、理工系の研究者や技術者、とくに最先端の技術に取り組もうとしている人たちにとっては、日本語で情報を発信すること自体にあまり意味がない、または意味がなくなりつつあるからである。

このブログのテーマである画像処理・コンピュータビジョンの世界でもそうである。この分野で研究論文を書こうとする人は国際会議や英語圏で権威ある学術誌に向けて論文を投稿するのが第1目標でああろう。日本の学術雑誌は、英語圏のほうで発表が済んだネタを後から「日本語に訳して」発表しようか、という感覚ではなかろうか。(あるいは、「商売上」多少は日本語圏でも名前を売っておく必要がある場合など)。

インターネット普及後は特にそういう傾向に拍車がかかっていて、ダイレクトに海外の研究者と連絡をとったりすることも珍しくなくなった。情報発信や情報交換の場としていちいち日本国内のコミュニティを経由する必要が低下していっているのだ。実感として日本の学会・学術雑誌の地位は相対的に低下していると思う。もしかすると学会や学術誌の経営もかなり苦しくなってきているかもしれない(これについては良く知らないので推測だが。)

とにかく、一流のスポーツ選手が大リーグやワールドカップをめざすのと同じで、知的活動の世界でも「上の人」は自動的に世界の舞台へ出て行くのである。そして当然のごとく「上の人」は猛烈に忙しい。日本ローカルにとどまって最先端の議論を展開するようなヒマも余力もないのである。

あれ、言っていることが「日本語が滅びるとき」みたいになってきたかな(この本は未読です。書評だけでおなか一杯。)


日本語で議論をすることに意味のありそうな分野、いわゆる文系の学問の世界?はどうなっているのだろうか。感覚的には非常にネット化が遅れているような気がする。そもそも、そんなことは目指していないのかな。ネットを使わないのは勿体無い話しだと思うが。